2008年6月30日月曜日

三つの人生の見方

私の大学の講義ではロジカルシンキングというテーマも扱いますが、カウンセリング心理学で使う「論理療法」を使っています。人生(キャリア)については現実をタフに生きていくための以下の三つの人生の見方を紹介しています。

1.人生はフラストレーションがあるのが普通である。

  ・・・世の中は自分のために作られたのではなく、自分がこの世の中に生まれてきたのだから。

2.人生の出来事が人を幸・不幸にするのではなく、その出来事をどう受け止めるかで左右される。

  ・・・出来事そのものに感情はなく、その出来事をどうみるかで感情が生まれる。

3.犬に人生の目的が無いように(ホントカナ?)、人間にも人生の目的はない。

  ・・・だから、自分の生きる意味は自分で創っていくものだ。

カウンセリングの先生から習った見方ですが、現実的な見方ですね。
学生さんに話したら、超前向きですね、と言われそうですが、それで良いんです。
だって、My Lifeですから。

上の2.の見方では、以下のような具体例をあげています。

出来事:彼女にフラれた。
 ⇒論理1:私にとって彼女が最高の女性だ。
  ⇒感情1:だからやるせない。

これを、
 ⇒論理2:彼女だけが女じゃない。
  ⇒感情2:ま、いーか。次、行ってみよう。

とするわけですが、あまりに論理療法を使いすぎると物わかりの良い人物になり過ぎてしまいます。
だから、

 ⇒それでは人生の意味がない。
  ⇒時には現実(出来事)を変えてみる勇気が必要だ。
   ⇒彼女にもう一度アタックしよう!

という再チャレンジも進めます。コーチング仲間から「他人と過去は変えられない。」という言葉を何度も聞かされ過ぎたせいか、この考え方が気に入っています。

特に最近の若者はダメモトはやらないので、若いうちには寄り道や無駄なこともやってみようよ、と伝えています。笑

2008年6月22日日曜日

二人の新社会人からのメール

▼大学の裏山の新緑です。緑も濃くなってきました。新社会人達も経験を積んでタフになって欲しいです。
今日、偶然にもこの春に就職した二人の新社会人からメールが届きました。 一人は「元気に頑張っています!」、一人は「心が折れそうです・・・」というまったく対照的な内容で。
それぞれの事情はわかりませんが、社会に出るとこれまでとは異なる人間関係にぶつかり楽しんだり悩んだりすることでしょう。大学と違って同質・同文化・同年齢・同価値基準ではない人々と触れ合うわけですから。

私がサラリーマンで「心が折れて」本当に辛かったときは、「心を置いて」仕事をしていました。考えると辛くなるから何も考えずに。

人生、回り道や寄り道があっても良いです。と言っても何が回り道で寄り道かは歩んでいるときにはわかりません。だから辛いんだけど、確かなことは時間も道も前に進むだけだということ。そうすればいつかきっと見えてくるはず。

「時計の針を戻すことはできないが、自らの意志で進めることはできる。」という名言がありますが、大変な時は仕事にのめり込んで早く乗り切る、というのもありだと思います。「攻撃は最大の防御」とも言いますし(違うか?)。

明けない梅雨はないし、朝の来ない夜もない。 天気は今ひとつですが、新社会人たちが月曜日の朝をそれぞれに楽しく迎えられますように。

2008年6月20日金曜日

泣きのギターが聴きたくなる

単純作業の仕事(データの入力や整理など)をやっている時には、ボーカルのない音楽(クラシックやジャズ、フュージョン系)をBGMに流しています。そんな時、突然に懐かしい曲というか「音」が無性に聴きたくなることがあります。

今日、感じたのは、ヤマハのギターのSGシリーズ。 (古い・・・)

カルロス・サンタナ、高中正義、野呂一生、「泣きのギター」演奏に惹き付けられます。(角松敏生も使っていたような・・・?)

特定の音が妙に印象に残るって不思議ですが、これは自分の食べ慣れた好きな食べ物みたいです。(これがソウル・フードってやつかな?)
下町の私は時々、もんじゃ焼きが無性に食べたくなります。

そんな感覚がきっと聴覚にもあるんでしょうね。

創造的に考える仕事は大切なんですが、対局のこういった無心に作業をする仕事も精神衛生上は大切だと思います。最近、この手の仕事が企業からドンドン減ってしまって、息抜き(?)ができなくなったような。

2008年6月15日日曜日

ホカホカ家族

今日は気持ちの良い日曜日で掃除洗濯が気持ちよくできました。
午後から大学の先輩夫婦と新宿でお茶してきました。

時間差で最初に旦那様の方といろいろ雑談。3人のお子さんのこと、パソコンのこと、大学のOB会のこと・・・。

後からやってきた奥様は、息せき切って同じく、3人のお子さんのこと、パソコンのこと、大学のOB会のこと・・・。

同じ話をそれぞれの方向から2回聞いてましたが、旦那さんと奥さんの視点が微妙に(かなり?)違うので面白かったです。

旦那様がとても良くできた人物で、奥さんがこの春から大学院に通い始めたので、激務の仕事をこなしつつ家事をいろいろ手伝っています。奥さんはますます勉強にのめり込んできて、晩ご飯を作る時間もなくなってきたので、今では旦那様の方が晩ご飯を作る方が多くなったとか。

数年前には旦那様が会社を辞めて大学院に行っていたのですが、その時は奥さんが稼ぎ頭で家庭を支えており、旦那様が家事係でした。

旦那様は、「俺が大学院に行っていた時は95%家事をこなしていたのに、女房は100%大学院で家事は5%位だよ。」と嘆いていました。

奥さんに言わせると、「主人は私が大学院に行っているのに家事を全然やってくれないのよ!」とのこと。

真相は一週間ホカ弁を食べさせられ続けた育ち盛りのお子さんの「晩ご飯を作るのは母親の役割だろう!(お母さんのご飯が食べたい!)」という怒りの発言でしょう。それを聞いて旦那様がまた慌てて晩ご飯を作っている・・・。

ともあれ、夫婦円満なご家族で羨ましいですね。
ホカ弁のような・・・、いやいや、今日、干した布団のようにホカホカのご家庭です。

2008年6月14日土曜日

思っていても口に出してはいけないこと

私は小学生の頃から秋葉原に行ってラジオ製作の部品を探してた正統派(?)のアキバ系なのですが、今回の惨劇は本当に胸が痛みます。それと同時に今の社会の問題を実感して悲しくなります。

事件の詳細が報道されてきて事件の背景も見えてきたようですが、加害者の言動から感じるのは、あまりに他責的な考え方で自分の衝動を我慢できないところです。確かに今の豊かな時代は、選択の余地が多くて我慢する必要が少なくなりました。私自身、コンビニでちょっと人が並ぶとイラッとす時など、危ないなと感じますが。(私だけかな?)また、ネット社会の匿名性は人間の隠された人格を表出させる非常に危ない側面があります。

 「思っていても口に出してはいけないこと。」

これを知ることって、社会人としてとても大事なことなのですが、匿名性の高いネット社会でつい話し放題しているうちに、その人格主張に歯止めがきかなくなり、ネット上の人格にリアルな人間の方がコントロールされるようになる。フロイトの深層心理の暴走を感じさせます。

だから小中学生に携帯電話を持たせないようにしよう、という提言に私は賛成です。利便性に慣れてしまった親は反対するかもしれませんが歯止めのきかない(我慢のできない)子供にしてしまう危険性の方が大きいと思います。それに本当に問題は、それを我慢できなくなった親のような気がします。

子供は伸び伸びと育って欲しいですが、どこかで制約されることも教えなければなりません。それは大人にしかできない「しつけ」「教育」でしょう。

タイトルからズレてしまったかもしれませんが、辛いことを心に秘めて頑張る力は貴重で大切にしたいと思います。それはネットではなく信頼できるほんの誰かにだけ話せば良いことです。(そういう人を身近に見つけられなくなったのが今の問題かな。) 

「人は一人だけど独りではない。」

そう信じていたいものです。

2008年6月5日木曜日

手書きの暖かさ

▼こんな山奥の大学に毎週通っています。

少し前に「手作りの暖かさ」と書きましたが、先日は「手書きの暖かさ」を感じました。
田舎の大学で私の講義を受けて卒業した元学生さんから、手書きの手紙が届きました。縦書きの便せんに、「拝啓」から始まり「胸をはってお会いできますよう、頑張ります。」と締めくくられておりました。
ここ数日、仕事と研究等でPCの前に張り付いています。冷静に見ると、20年前のITが無い時代よりも何倍もの仕事をこなしています。それなのに、あの頃よりも精神的には余裕はずっと少なくなっていると思います。
そんな時、この手紙にホッと一息つきました。
都会のキレのある学生とは違いますが、真面目で素朴な学生さんで、授業後にカフェに雑談に誘うと喜んで付いてきて、卒業前には仲間と「謝恩会」を開いてくれました。
田舎の大学に行くのはキツイのですが、都会にないものが確かにあるから続けていられるのだと思います。
この週末は、私も彼に手紙を書こうと思います。
古い万年筆と便せんを取り出して・・・。